人生は山あり谷あり
先日、母の初盆でお寺に行って来ました。
生前、母とは
「亡くなったらどうしてほしい?」
なんて話をする暇もないまま、突然のお別れになりました。
死に目にも会えず、何が何だかわからないままバタバタと時間だけが過ぎて……。
亡くなったら人はどうなるんだろう。
本人はどう思っているんだろう。
そこは、どれだけ考えても私にはわからない世界です。
お寺のことも、供養のことも、宗派によっていろいろ違うらしくて。
「そうなんだ……」
母が亡くなってから初めて知ることが、たくさんありました。
もうすぐ一周忌になります。
でも不思議なことに、今でも時々
「本当はまだ生きているんじゃないか」
と思ってしまいます。
母とはずっと一緒に暮らしていたわけではありません。
小さい頃から離れて生きてきて、
会いたくても、いつでも会える親子ではありませんでした。
だから今も、
「また会えない時間が続いているだけ」
そんなふうに、心のどこかで錯覚しているのかもしれません。
話は少し変わりますが……
私は昔から、ファミリードラマや『のど自慢』みたいな番組が好きです。
録画してまで見ます(笑)
家族みんなで楽しそうにご飯を食べたり、
旅行に行ったり、
笑ったり。
そんな、誰かにとっては「当たり前」の風景を、
私はずっと
「いいなぁ……」
と思いながら見ていました。
ところが先日、『ワイシャツが乾くまでに』という番組を見ていて、心に引っかかる言葉がありました。
結婚式に招待された主人公が、
「親への感謝の手紙とかから逃げて来た」
というようなことを話す場面。
それを見た時、ふと思ったんです。
私も、もしかしたら……
家族の幸せな姿が「羨ましい」だけじゃなかったのかなって。
本当は、見るのが嫌だったこともあったんじゃないかな。
羨ましい。
寂しい。
悔しい。
なんで私は……って思う。

そんな自分の本当の気持ちを、私はずっと見ないようにしてきたのかもしれません。
小さい頃、自分の感情を口にすると、
「そんなことを言ったら悲しむよ」
「そんな話はしない方がいい」
そんなふうに、大人の都合で言ってはいけないことがたくさんあったように思います。
祖母を悲しませてはいけない。
祖父の目も気にしなければいけない。
いつの間にか私は、
自分がどう思うかより、相手がどう思うか。
それを先に考える癖がついていたのかもしれません。
何かを決める時も、
「私はどうしたい?」
より先に、
「これをしたら人はどう思うかな」
「間違ってないかな」
「誰かに何か言われないかな」
と考えてしまう。
そして、自分の中に出てきた嫌な感情まで、
「こんなことを思ったらダメ」
「こんな私は性格が悪い」
と、自分で消そうとしてきた気がします。
でも……
寂しかったなら、寂しかったでいい。
羨ましかったなら、羨ましかったでいい。
嫌だったなら、嫌だったでいい。
感情そのものに、良いも悪いもないのかもしれません。
それは誰かを傷つけるためのものではなく、
「私は本当はこう感じていたんだよ」
と、自分自身が気づくためのものなのかもしれません。
この歳になって、今さら?
とも思います(笑)
でも、この歳だからこそ今なのかもしれません。
人生は山あり谷あり。
楽しいこともあれば、
どうして私ばかり……と思うこともある。
過去を変えることはできないし、
母との時間をやり直すこともできません。
だけど、
これからの自分の気持ちを、自分がちゃんと聞いてあげることはできる。
人がどう思うかではなく、
「私はどうしたい?」
「私はどう感じている?」
これを少しずつ自分に聞いてあげたいと思います。
今まで見ないようにしてきた自分の心と向き合うことは、ちょっと怖いです。
でも、そこから逃げ続けていたら、私は変われないのかもしれない。
人生は山あり谷あり。
だったらこれからは、
谷にいる自分の気持ちも否定せず、
山に登れた時には思いっきり景色を楽しんで。
残りの人生くらい、
自分の心に正直に生きてみてもいいんじゃないかな。
母の初盆を迎えて、
そんなことを考えた今年のお盆でした。



